タルキートナでバドワイザーを

群発頭痛により断酒した山好きオジさんが、定年後にアラスカのデナリを登って、祝杯としてアルコールを解禁することを目指す日記。

山中湖から立川へのロックな継続

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台風で開催が懸念された、LoveSweetShower(ラブシャ)が無事、3日間とも開催された。われわれは三日目最終日に参戦してきた。

初日、二日目ともに大雨の中の開催で、参加者から大沼のようになった会場の様子が、Xのポストで上げられていて、われわれも覚悟して向かったが、多少の雨はあったものの止み間も多く、問題なく楽しめた。

 

会場に向かう道路は、紅富士の湯の先から渋滞し始め、一時は全く動かなくなった。これはGoogleマップさんの誘導が、東急の別荘地(私有地)を指していて、そこに東急の誘導員が現れて、通行止めにしていたことも影響していたと思う。あの誘導員の日当は、ラブシャの運営側が支払うのだろうか。

別荘地の裏道から、山中湖畔の国道に出ると、徒歩で会場に向かう人々が多数。多くは動かないバスを降りて、推しのステージに間に合うように足速やに道を行く人達。または、同乗者に車を託して、小走りに会場に向かう人達だった。ただ、ここから会場まで4kmくらいはあり、会場に近づくにつれて流れ始めたので、多くの人は走り損だったと思う。

われわれは会場向かいのKensParkingを予約してあったので、会場先を右折して、誘導されて車を停めた。山中湖畔に多数ある無料駐車場に車を置いて、そこから歩く人もいるようだったが、Kens~は会場から近い快適な駐車場で、屋根のある休憩所もある。2500円かかるが、1日だけならここを予約した方がいいと思う。

8時に家を出て、着いたのは13時頃だから、5時間かかったことになる。14時過ぎからスカパラのステージだ。間に合って良かった。

スカパラが登場する、レイクサイドステージに行くと、それほど人がいない。そのおかげで、けっこう前の方のポジションが確保できた。周りを見てみると、スカパラのファンというより、その次のマキシマムザホルモン待ちの人が多いような気がした。この日のラブシャのラインアップは、大トリがELLEGARDENで、それ以外にマキシマムザホルモン、ヤバいTシャツ屋さんなど、ハードコア系のバンドが多い。参加者のTシャツを見回してみると、ELLEGARDENのTシャツが6割、ホルモンが3割で、その他が1割、1割の中に、WANIMAがチラホラあるという感じだった。次がスカパラだというのに、見えるTシャツはホルモンばかりだ。

目の前に座っていた、妙齢のご婦人お二人組は、ちゃんとしたスカパラファンだと思っていたら、開演時間が近づき、来ていた雨合羽を脱いで立ち上がると、しっかりお二人ともホルモンTをお召しになっていた。それでも、メンバーが出てきて、演奏を始めると、しっかりスカパラの曲に合わせた手ぶり身振りで応援を始めた。

スカパラの選曲は、フェスなので代表曲とスタンダード曲が主体だった。「こんな天気なのに来てくれるなんて奇跡だよ!」と、谷中さんらしいキザな煽りで楽しい演奏が続く、今日の衣装はエンジ色のジャケット。実は演奏前のインタビューで、この服を着ていることの含みを語っていたのだが、それを見ていなかった我々に、「ここで、スペシャルゲスト!宮本浩次!」と嬉しい紹介が入った。

スカパラと同じエンジ色のジャケットを着た宮本先生登場で、観客は大喜び。雨脚が強まる中、「明日以外すべて燃やせ」を元気に演奏し、宮本先生はこれから自分のステージがあるというのに全力で歌ってくれる。

宮本先生が退場すると、もう「Paradise Has No Border」を演奏し始めた。「GAMOさんこっちこっち」をやるあのナンバーだ。という事はラストナンバーで、え?ちょっと短くないか?と思ったが、演奏後に谷中さんが「本当はこれで終わりなんだけど、もう一人スペシャルゲスト」と、アイナ・ジ・エンドを紹介した。BISHはもう解散しているので、アイナちゃんはソロで、午後イチくらいのステージを終えたばかりだった。曲は、チバユウスケが歌った「カナリヤの鳴く空」。あとで知ったが、リハなしのぶっつけ本番だったそうだ。

ならばあのダンスも即興だったの?というような、カッコいいダンスも決めて、見事に歌い切った。ジャケットは黒だったが、中におなじエンジ色のキャミソールを着て、髪の毛の色も、スカパラに合わせるといった、見事な集中ぶりだった。

 

奥さんは、サプライズで宮本先生が見られて大喜び、17時過ぎから、その宮本先生のステージがあるので、それまでしばし休憩。ひとまず先生が出る、Mtフジステージを確認してから車に戻ろうと、レイクサイドから一旦湖畔の道に出て、右手側に向かった。

湖畔にはWaterFrontの小さなステージがあった。宮本浩次の前の時間に、ここで森山直太朗がライブをやる事になっている。スカパラから退出する人たちの列から、一部の人が離れて、WaterFront前に陣取っていく。ずいぶん狭いエリアだが、こんなところであのメジャーな直太朗が演奏するのだろうか。

 

車に戻った頃は、けっこうな雨になっていた。車内でお茶を飲みながら、遠くから聞こえるホルモンの演奏に耳を傾けた。

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宮本浩次の神通力は大したもので、ステージ時間が近づくと雨が上がり、青空が見えてきた。開演30分ほど前にMtフジステージに到着。まだそれほど混んでいなく、前の方のポジションが確保できた。

先ほど通った、WatreFrontはステージのすぐ裏で、直太朗のライブは満席でもう入れませんと、係員の誘導があったが、ときおり美声が漏れ聞こえてきた。宮本浩次ステージと、もう少し間があれば、ぜひ聞きたいライブだった。その中、宮本浩次のライブに向けたステージでは、あまり人の動きが見られない。

フェスのリハーサルというと、打首さんやヤバTさんは、ほぼ本番のような演奏をしてくれて、ファンを楽しませてくれる。もちろん、本番に向けて、音響のチェックは必要だから、先ほどのスカパラも、メンバーは出てこなかったが、加藤君のあの塗装の禿げたギターを、若い人が弾いて音を合わせていたし、演奏直前には、楽屋にいるであろうホーンセクションの面々が、それぞれ音出しをしていた。なのに、宮本浩次ステージでは、もう開園時間まで間がないというのに、何もしていないように見えた。

推測ではあるが、後ろでやっている直太朗に配慮したのではないかと思う。おかげで、こちらも、わずかではあるが、直太朗の「なーつのおーわーりー・・・」を聞くことが出来た。夏も終わりなのかな。f:id:sandyou:20240903140431j:image

直太朗の声が聞こえなくなった頃、ようやくドラムスが現れて音響セット開始。ドラムスは、今回は玉田童夢ではなく、屋敷郷太。不勉強なので知らなかったが、大変高名なドラマーらしい。ベースは須藤君。ギターの名越さんも出てきて、キーボードは誰が座るのかな?と思っていると、司令塔のコバタケさんが登場した。そんならドラマーがトムじゃなくても大丈夫だねと、ちょっと安心した次第である。

 

やや時間が遅れて開演の合図があり、再びメンバー全員と、宮本先生がご登場。丹下さんがアコギを先生に渡したと思ったら、オープニングは「今宵の月のように」。

冬の花」「登る太陽」とソロの曲をやって、短いMCから「悲しみの果て」。これで、宮本浩次をあまり知らない観客まで大盛り上がり。続いて、もう岩崎宏美の曲とは思えなくなったロックナンバーの「ロマンス」をやったと思ったら、もう「ハレルヤ」だという。え?まだ6曲目だぜ?

基本的に、宮本浩次、およびエレカシのコンサートに、観客の合唱はない。ないはずだが、ここはフェスで、コアなファン以外も来ていることもあり、「ハレルヤ!」のところでは観客の声も聞こえていた気がする。「幸あれ―!」で締めくくった直後、先生から「じゃ、アンコール!」と言って、「俺たちの明日」を演奏し始めた。これで、さらに遠巻きでステージを見ていた人たちまで大熱狂。ここでも、「さあ頑張ろうぜ」を合唱する声がちょっと聞こえていた。

 

スカパラでウォームアップしていた先生の、見事な歌唱で、素晴らしいステージだった。惜しむらくはやや尺が短いことだ。ラブシャというところは、そうなのかもしれない。

せっかくなので、フェス飯を食べにフードエリアに行き、ベトナムフォーとココナッツカレーを食べた。フードエリアの先のフォレストステージで、ヤバTさんのリハが始まっていた。ほぼ本番と同じ演奏をしている。コヤマ氏が「え?もう止め?」と言って演奏を打切り「すぐ戻るから」と奥に下がっていった。リハ時間が終わりのようだ。

すぐに本番が始まるようなので、少し離れたところで様子を見ていた。ステージ前は大きな水たまりがあるようで、それを避けつつ、観客が集まってきた。

開演時間になると、コヤマ氏が「もっと前来いやー」と観客を煽り、派手な演奏を始めた。ステージ前では、モッシュ、ダイブ、サークル何でもありで、皆さん泥だらけで楽しんでいる。もう少し若ければ参加したいものだが、還暦のオヤジのやる事ではないので、遠くから何曲か聞いて、会場を離れた。

ラブシャはこのあと、大トリのELLEGARDENを迎える。7割の人がエレルTを着ているので、退場する人はわずかだ。スムーズに駐車場から車を出して、近くに取った宿に向かった。

泊ったのはここ↓

テニスフレンド - 宿泊予約は【じゃらんnet】 (jalan.net)

簡素なたたずまいも、装飾のない部屋も、きっぱりとしたおかみさんの対応も、合宿所ッぽくてよかった。部屋からは、富士山が良く見えた。f:id:sandyou:20240903140455j:imagef:id:sandyou:20240903140505j:image

ただ、朝食は無くても良かった。時間も7時半からでは何をするにも遅いし、内容がこれならコンビニで買った方がいい。もしかしたら、フェス客向けスペシャルメニューなのかもしれないが。

涼しいのでたっぷり眠れた。ここは標高約1000mだが、部屋にはエアコンがなかった。まあ、富士吉田の宿はどこもエアコンはあったが、必要性を感じたことはあまりなかったのだが。

水陸両用車「KABA」の上陸を見た

ざばーん

宿を出て、少し湖畔を散策してから、道志みち経由で帰路についた。山伏峠を越える頃は、周囲のススキと、わずかに色づいた山を見て、ああそろそろ雪山の準備も考えなくてはと思ったが、東京に近づくにつれ、気温は上昇し、ふたたび真夏に戻ってしまった。

直接家には帰らず、立川に寄った。これを見るためである。

ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE” LAST HEAVEN 031011 (09) (cinemacity.co.jp)

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去年、チバユウスケが死んで、もう生では再現できなくなったミッシェルのライブ。ラストライブはyoutubeで「世界の終わり」を見たが、全部収録した映画があったのか。わずか1週間の限定再公開だというので、見逃すわけにはいかない。

映画館、シネマツーの座席は、今まで座った中で最高に座り心地がいい椅子だった。下手な映画なら、間違いなく寝落ちしそうだが、さすがにそうはならなかった。

すごいライブだったんだな、と改めて思う。その存在を知らず、行けなかったライブ・コンサートで、行きたかったなあと思うものがいくつかある。映画ボヘミアンラプソディーで出てきたウエンブリーのライブエイドや、ロジャーウォーターズのベルリン「THE WALL」コンサート。それに、O2アリーナのゼッペリンのライブなどだ。もちろんウッドストックもそうだが、ウッドストックは行っていたら(6歳だが)すぐに飽きていただろうと思う。

この幕張メッセライブは、それらに匹敵するものがあった。終わったあと、観客がなかなか帰ろうとしないのも分かる。もちろん、そこにいても、再びミッシェル達が出て来てくれないことは、みんな分かっているのに、悔しくて動けないのだろう。

そんな素晴らしいライブを収録した映画だが、平日ともあって、映画館はガラ空きだった。まだ3日あるので、間に合うかたは、行かれてはいかがですか?

 

これが言いたくて、ちょっと今回は記事を急いで書きました。まあここを見ている人はあまりいませんが。

 

信越装備で多摩湖へ

フロントポケットに水とジェルを入れると、揺れて走りにくい。これが雲取山で判明したので、肩ショルダーのポケットは、右が水、左はグラノラにして、ジェルは左の脇のポケットにしてみることにして、同じ仕様でパッキングしたリュックで、多摩湖まで走ってみた。当然、山回りで。

リュックには、必須装備をすべて入れた。カッパ上下、着替えの長袖、ファーストエイドキット、ポイズンリムーバ、ライト(電池は入れ忘れた)、レスキューシート、スマホ

スマホの予備バッテリーは含まれていなかった。私のiphone8は、30時間も持たないので、予備バッテリーを持って行く必要があるが、必須でないのなら、黒姫エイドに送っておく、という手もある。または、容量が少なくても小さいバッテリーを用意するとか。

この装備で試してみたら快適ではないが走れた。10.8㎞、累積標高192m、ペースは6:30/㎞、時速に換算すると9.2㎞/h。

山回りとはいえ、累積標高7100m、距離162㎞の信越よりかなり緩い。信越はピロキペースの時速5㎞で走らないとゴールできないが、ランボーイズの人が、参考ペースを示してくれていたので、それを参考に表を作ってみた。

セクションによっては、時速6㎞まで加速が必要なようだ。それにしても、この通り行ったとしても、青少年自然の家とか、黒姫とか緊張するだろうな。

今日の準備でいろいろ分かった。まずは各容器の重さ。

このジェルボトルは1本100mℓ、2本で50g

100均ドレッシング入れは400mℓ入って同じ50g、採用

フラスクはさすがに軽く40g、これにジェルを入れてデポに送る

一番軽い400mℓ入るコーヒー缶、あと2本買ってデポに送る

コーヒー缶にグラノラを入れて携帯する予定だが、この缶に補充するのは大変だということが分かったので、あと2本買って、グラノラを詰めた状態でデポパックに入れることにした。いつも山に行く時は持っていく羊羹や大福は持たず、食料はジェルとグラノラだけ。カフェイン入りジェルは各デポに入れる。

 

台風でグランテッドになった夏休みに信越の準備が少し進んだ。色々調べて、完走する実力の目安は、イトラのポイントが550、最低でも500だという事も分かった。ちなみに私は450しかなかった。ますます不安だ。

 

夏休みは一応今日まで。明日1日仕事に行って、土曜から夏休み後半戦。こうして書くと、休んでばかりのようだが、勘違いしてはいけない。私はもう仕事は引退した身なのだ。本来なら、毎日が日曜日のはずのところ、私費で軽トラまで準備して、かつていた会社に義理立てしているだけだ。

 

それにしても、このタイミングでこの台風が来るなんてなあ。

芥川賞作品を読む

NHKラジオで、日曜日に「著者からの手紙」というコーナーを放送している。先週それを聞いていたら、今年の芥川賞は「バリ山行」という、山登りを題材にした作品だという。自身も登山をするという作者が、作品について語っていた。読んでみたいな。

経済的に、買う気はない。図書館にリクエストしたら、どんだけ待つのだろうか。そんな時、何かの記事で、文藝春秋最新号に載っているので、それを買うのがお得であると書かれているのを見た。そしてその文芸誌を、中高年は夏休みの図書館で見つけた。

面白かった。中小企業の工事会社に転職して日が浅い主人公が、遠い関係の同僚と「バリ山行」に行く。会社は営業改革が上手くいかず、経営が危うくなる。それに従い主人公とその同僚の立場も危うくなっていく、という内容。

立場が似ているのだ。経営状態があまり良くない工事会社、上司と折り合いの悪い、職人気質の社員。コレって俺じゃね?ただ、私は「バリ」はやらない。どちらかと言えば、「バリ」をやっている人たちを??と思っている。

日曜日の放送を聞いていて、この著者は「バリ」をどう捉えているのか気になっていた。「バリ」はもともとバリエーションの略だと思う。たぶんバリエーションルートという言い方を、最初に聞いたのは大学山岳部だと思うが、一般ルートではなく、変わったルート、という意味で、新歓合宿で行った白馬岳では、一般ルートは大雪渓や双子尾根で、白馬主稜や白馬鑓北稜がバリエーションだった。穂高で言えば、北穂南稜ではなく東稜がバリエーション。しかし、前補北尾根はバリエーションとは言わない気がする。本チャンである。

ヤマレコにしばし登場する、「バリ」の愛好者は、比較的標高の低い山で、登山道のないルートをあえて選択する。登山道が破線で示されたルートもしばし含まれる。そういう尾根はだいたい急峻だから、ときおり岩場も現れ、それらをロープなど使って突破し、「危険なのでマネしないでください」などとコメントをつけて紹介している。ただ、おそらくそれらの岩場は、初心者ルートと言われる本チャンの、前補北尾根や一ノ倉南稜などより簡単だと思う。危険かもしれないが。著者が考える「バリ」は、この手の山行の事を言っていて、私の「バリ」観に近かった。

この物語に登場するメガさんも、似たような山行を繰り返すが、ヤマレコで見かける人たちとは違うようだ。ヤマレコの「バリ」愛好者は、自分の山行を明らかに自慢している。それにファンがたくさんいて、コメントや拍手がたくさんついている。メガさんは記録用にヤマレコにアップしているが、自慢をしている風でもなく、フォロワーが多いわけでもない。じゃあ何で、ヤマレコにアップするの?と言われると、作品では語られていないが、それはおそらくヤマレコの機能のせいで、記録をアップすることで、ヤマレコの機能が多く使えるようになるからだ。

メガさんには共感できる部分が多かった。勝手に倉庫の資材を持ち出して、顧客が喜ぶ工事をやってしまうところなど、ホントに自分の事を言われている気がした。ただ、「バリ」中に危険個所を通過するところで、「本当の危機感」を味わうあたりは違った。私は、自分の実力に見合うギリギリの困難を伴うルートには行くが、危機感や、危険を求めることはしない。困難なルートを、自分が持ち合わせるテクニックを駆使して、危険を排除していくのが醍醐味だと思う。

 

著者は、メガさんや主人公が、山に惹かれる理由を、社会活動からの逃避のような形で描いている気がする。正直言って、自分でもなぜ山に惹かれるのかわかっていない。この小説を読んでも、自分なりの答えが出ることはなかった。逃避ではないのは明らかだが。

 

なんで山登るねん、ていう本があったな。

 

お墓について

台風の動きが遅い。進路も定まらない。夏合宿は中止になったが、9月1日に行く予定にしている、「Sweet Love Shower」フェスも、今後の台風の動きによってはどうなるかわからない。なかなか面倒な夏休み2024である。

 

叔母さんの死亡を受けて、長い間連絡を取っていなかった従妹から、先週留守録が入っていた。連絡を取りたいと言っておきながら、自分の電話番号を残していなかったので、連絡の取りようがなかった。お墓を建てようと、もう霊園の下見までしたところに電話があったので、祖父母が眠っているお墓のことで連絡がしたいのかと思っていた。そのため、下見はしたものの、この先の話を進めるべきか迷った。

その従妹から手紙が届いた。姉から、住所を聞いたのだろう。まあ、電話番号も、姉から聴いたのだろうが。ただ、この従妹が、なぜ叔母さんの死亡を知ったのかは疑問だった。未婚だった叔母さんは、母の旧姓を名乗っており、戸籍上もそちらの姓の人間である。従妹は、女性なのでお嫁に行って姓は変わっているが、叔母さんの長兄の娘なので、本来そちらに先に死亡連絡が行くはずで、それがうちの姉に連絡があったのは、叔母さんの意図として、本家と縁を切っていたと思っていたからだ。

手紙を見て、思わず笑ってしまった。埋葬については一切触れず、叔母さんの遺産分配についてのみ書かれていた。「叔母さんの意思を尊重したいので、遺産は従妹で分けましょう」と言うのが趣旨だった。

祖母(私にとっても、この従妹にとっても共通のおばあちゃん)が存命の時、そろそろ終活を始めようと思ったのか、祖母の家にあった立派な仏壇を、引き取ってもらえないか従妹の母親に相談したそうだ。もちろん、祖母としては、長男の家に仏壇を引き取ってもらって、先に逝った夫(おじいちゃん)を含めたご先祖を、お祀りしてもらいたいという気持ちがあったと思う。従妹の母親の返答は、「仏壇は引き取る、位牌は要らない」だったそうだ。

こういう母親の娘だからしょうがないのだろう。叔母さんが、私に看取ってもらいたいと言っていた訳が分かった気がした。叔母さん、ちゃんとお墓は建てるからね。

 

夏休みに予定がなくなったので、霊園にメールを打った。なんなら今日また行けますが?と。すると電話があり、説明することが多いので、なるべく早く来てほしいとのことだった。洗濯物など、家事を片付けてから霊園に向かった。

お墓の申込者が、そのお墓に入らない場合は、継承者不要の契約は出来ないかもしれないと言われていた件は、17回忌までの管理費を支払えば大丈夫だと返事が来ていた。それならばお願いしますと伝えると、まずは場所を決めましょうという事になり、予定地を再び訪れた。横に長い分譲地を、景観を確認しながら歩き、一番眺めが良いと感じた場所を指定した。この場所は分譲を開始してからまだ3日目とのことで、うちの墓が一番乗りだったようだ。

その後は契約の説明があって、手付金1万円を支払った。今後の納骨のスケジュールは、石屋さんと相談とのことで、霊園出入りの石材業者の事務所に案内された。この日は、石屋の親方はおらず、女性の事務員さんが対応してくれたが、いろいろ煮え切らない人だった。ただ、建墓には3か月かかると聞かされた。え?そんなにかかるの?

 

7月中旬に亡くなって、お盆には間に合わないが、お彼岸にはどうだろうと思っていたのに、これでは年内にどうか?という感じになってきた。すみません、叔母さん。

 

 

サツマイモつる返し(2024年夏休み)

引退した身では、無理して混んでるお盆に休みを取る必要はない。それに、暑い8月は植木屋の仕事は開店休業状態で、元々それほど忙しくない。というわけで、八月最終週に長い休みを取った。

この夏休みに、奥さんと合宿を予定していた。行先は、奥さんが言ったことのない山域を選んで提案したら、南アルプス南部に決まった。荒川三山から光岳まで南下する計画。かなりタフな縦走なので、正直言って気が重かった。素晴らしい稜線なのは間違いないのだが。

東海フォレストの千枚小屋の宿泊を、まいたびから予約し、椹島までのバスも確保したが、ここに台風10号がやってきてしまった。千枚小屋はキャンセルし、計画縮小や行先の変更も含めて検討してみたが、直撃、交通機関も計画運休という状況を鑑み、合宿は中止になった。台風の北上速度は遅く、なかなかやってこないので天気はなかなか崩れてこない。「行ってみればよかったかも」などと考えてしまうが、24日土曜日の夕方、気象庁のナウキャストで、中部山岳地帯が赤く染まっているのを見て、奥さんともども中止を納得したところだった。

というわけで日曜日、久しぶりにタラに行った。

もう作物はサツマイモしか植えていない。そのツルが激しく広がっていて、お隣に侵蝕し始めている。雑草ではないが、警告を受けてもいいレベルだ。この写真だと分かりづらいが、まめに耕作している右隣りさんは、うちのツルを追い返しているようだが、奥のお隣さんはあまり来ないらしく、まん中あたりまで侵攻してしまっている。

この方法で良いのか知らないが、とにかくツルを返した。返した下はほぼ雑草が生えていなかったので作業は楽だった。

このサツマイモは5月18日に植えたらしい。

タラにサツマイモを植えた - タルキートナでバドワイザーを (hatenablog.com)

サツマイモは植え付け後110日~150日で収穫適期だそうだ。

サツマイモの収穫時期は葉っぱでわかる?見極め方や収穫後の保存方法 (greensnap.co.jp)

植付けて98日になるようだから、あと2週間で収穫適期に入る。しかし、葉っぱが萎れる兆候は見えない。過去は10月に収穫しているから、まだもう一月くらいは植えておこう。

 

さて、長い休みになったが、奥さんと一緒に家にいると、なかなか気兼ねして走りに出られないが、タラに行くと見せかけて走る支度もしてきた。タラからは航空公園が近いが、休日は家族連れがやってくるので、駐車場に入れないことが多い。タラの作業が短時間で終わったのでとりあえず向かってみると、駐車場はガラ空きだった。

サクッと5㎞、と決めて、ワラーチで走り出す。もう、近場のランニングはワラーチかビブラム5本指と決めている。腸脛靭帯炎予防の為だ。かつて、ハセツネに出ると、CP1の手前で腸脛靭帯が痛くなり、残り50㎞を走れずに歩きとおした時期が続いた。このころ、ビブラム5本指を試してみると、それ以来、浅間峠腸脛問題は解決したのだ。走るフォームが良くなったのだと解釈している。

去年、一昨年と、彩の国を腸脛靭帯炎でリタイヤしている。信越ではその轍を踏みたくない。

猛暑の影響か、まったく人がいない

25日正午の、所沢アメダスの気温は32℃。まあ暑いが、この夏はいろいろ暑熱順化をしてきているので、この程度ならへっちゃらである。6.4㎞、5.53/㎞。フォームを意識して走った。

それなりに大汗をかいたが、サンバーのエアコンをフル回転させて、家チカのスーパーに着く頃には汗は飛んでいた。夕食の食材を買って、涼しい顔で帰宅。

 

さてさて、こうして2024年の夏休みが始まった。

ゆっくり(すぎる?)ジョグで多摩湖

f:id:sandyou:20240822202922j:image走り出しは体が重い。息も切れる。こんなんじゃ、絶対マイルは無理な気がする。f:id:sandyou:20240822202955j:image

雲取山往復から中3日でようやく疲労抜きジョグ。まあ天気も安定しなかったし、電車で千葉まで行ったりしたので走れなかったのはしょうがない。しかしこの体の重さは何なのだろう。雲取山疲労?そうかもしれない。もう還暦過ぎてるのだし。

多摩湖畔まで登って、水平な湖畔道を走るころは呼吸も落ち着く。とにかく、ゆっくりでいいから、無理なく長距離を走るのが今のテーマだ。本番では平均時速5㎞。信越は年代別表彰などないし、そもそもマイルを完走したことはないのだから、少しでも早くゴールなどと考えず、制限時間をいっぱい使って、確実にゴールにたどり着かなければならない。練習でもオーバーペースに気をつけて、ちょっとでも調子に乗っているようなら抑えて、走った後も疲労が残らない、そんな走りを目指さねば。f:id:sandyou:20240822203017j:image

13.1km、6.10/km。まあそんなもんか。

 

帰宅したらお風呂アイス。だがその前に、スクワットを50回やってみよう。ついでに懸垂10回も。

トヨタ車は優秀

また農道のポルシェが壊れた。

事の初めは数日前に奥さんを駅までジムニーで迎えに行ったところから。帰宅して、駐車場に入れると、道路になにか液体の漏れた跡が。ボンネットを開けてみると、ラジエーターの冷却水のタンクが空になっていて、その下あたりのシャーシが濡れている。そして、なにかせんべいでも焼くような香ばしい香りがする。

このまま走るのは危険と感じて、何度か修理をお願いしている整備屋さんに電話してみる。もう夕方なので、翌日水を足して持って行くことにした。

奥さんが、翌日に冷却水タンクに満タンに水道水を入れて、整備屋さんに運転して行ったところ、ラジエーター交換という診断が下ってしまった。一旦エンジン温度が上がっているので、エンジンオイルとオイルフィルターまで交換となり、「10万ぐらいかかりますが」とのことだ。30万で買った車に、ファンベルト周辺の交換で10万くらいかかり、屋根のルーフレールの交換で3万円かかり、そして今回の事態だ。8万㎞走った中古車とはいえ、ちょっと壊れすぎではなかろうか。

で、山の日の連休明けの火曜日、サンバーに荷物を積んで仕事に出かけた。武蔵小杉でのサービス工事で潅水ホースの設置だが、相性の悪い水道のコネクタをいろいろ工夫して、水漏れのない接続に成功した。いい仕事が出来た。これであの乾いたクリスマスローズにも水がいきわたって、今シーズンは花をつけるだろう。

その後、いろいろな物件に立ち寄りながら自宅方面に近づいて行ったが、その際に先日ジムニーで嗅いだ、クーラントの臭いがしている気がした。荷台の下に、何やらタンクがあるのに気付いたが、それが空になっている。ただ、荷台の床にかなり近い位置なので、これにどうやって水を足すのだろう。まあ、リザーブタンクが空でも、ラジエーター本体には冷却水が残っているはずだから、回転数を上げないように走って、どこかスタンドに入ってみよう。

こういう時に限ってスタンドの前を通らない。リモートワークをする予定をしていたマックに着いてしまった。とりあえず大丈夫のようだ。

約2時間、マックでデスクワークをして家路に着いた。青梅街道を走っている間は水温計に変化はなかったが、青梅街道を離れ、北上を始めたら水温計が上がり始めた。これはヤバい。近くにセブンイレブンがあったな。とりあえずそこに入ろう。

セブンまで500mほどだったが、そこまでで水温計の針は、天井まで振り切れてしまった。

JAFを呼んで牽引を頼むが、盆休みなのでスバルが休みなのは分かっている。一応電話してみると、緊急電話のような番号を自動音声で案内していた。そこに電話して、所沢スバルに曳いて行く旨を伝えた。「責任は取れませんが」と言いつつ、お店に本件をFAXしておいてくださるそうだ。盆休み明けの17日に、お客様にお電話が入るでしょうとのことだった。いやいや、その日は開店時間に行きますよ。

 

冷却水が漏れて、エンジンがオーバーヒートなど、免許を取って40年、経験したことがなかった。クーラントの補充も交換も、やったことはない。定期点検ではやっていたのかもしれない。

今まで乗った車を思い出してみた。

いすゞジェミニディーゼル 1983年~1987年

トヨタランドクルーザー60」 1987年~1991年

スズキ「ジムニーシェラ」 1989年~1990年

マツダ「ファミリア」4WDターボ 1991年~1994年

トヨタスプリンターカリブ」初代 1995年~1998年

トヨタスプリンターカリブ」二代目 1998年~2011年

トヨタスプリンターカリブ」三代目 2011年~現在

スバル「サンバートラック」 2023年~現在

最初に乗った、いすゞジェミニには、運転がへたくそだったので可哀そうなことをした。ただ、初期不良で電気系に問題があって、何度か運転中にエンジンが停止し、再始動しなくなるので大変な思いをした。若造がいろいろぶつけてボコボコにして、そいつがマレーシアに赴任したので、たぶん二束三文で売られてしまったと思う。マレーシアではランクル60とジムニーシェラに乗った。ランクルは新車で届いたが、ジムニーは中古だった。このジムニーはかなりのポンコツで、いろいろ苦労したが楽しい車だった。

帰国してすぐに実家近くの中古屋で、ファミリアのターボを買った。当時はネット検索など出来なかったが、欲しかった車が近くの中古屋にあったので、運命を感じてその場で決めた。この車は好きだった。踏み込むと、インパネの中央にあるターボサインが緑色に点灯する。「キーン」というターボ音。随分無茶な運転もしたが、一度もぶつけなかったのは奇跡というべきか。

この車、ハイトコントロールが付いていて、ボタン一つで車高が上がったり下がったりした。これが壊れて上がったままになってしまった。それも、車の気分によって、前輪だけ上がるとか、すごく上がってリフトアップファミリアになったりした。交換が必要だった。

若かった俺は、旧4号線沿いの改造屋に行き、ビルシュタインか何かの、峠仕様のショックアブソーバーにしてくれと頼んだ。バネまで替えてくれとは言わなかったのだが、店長に言いくるめられてバネも交換された。ずいぶん乗り心地が硬くなったが、それよりも、ジャッキアップした車を地面に降ろすとき、バネがずれないように抑えている動作が気になった。それって、バネが短いってことじゃないの?

純正より少し短く、すごく硬いバネに替わったので、言われなければわからないほどだが、車高が下がって、晴れて「シャコタン」になった。乗り心地はやや硬い程度と感じていたが、車体には負担がかかっていたようで、内装を留めるビスが、次から次へと抜けていったのが印象的だった。夜の中津川林道で、いきなりライトが消えたこともある。そして、負担は駆動系にも及んだと見えて、出張に向かう夜の東名高速で、(たぶん)ドライブシャフトが折れて動かなくなった。

牽引されて持って行った豊川のマツダの店では、シャコタンを理由に整備を断られた。陸送を手配するか決断を迫られたが、可哀そうにこの地で、廃車の運びとなった。

しばらく自家用車がない生活を続けていたが、仕事で行った溝の口の中古屋に、20万円の値札の付いたスプリンターカリブを見つけた。8万㎞ほど走っている車だったが、4WD だし、値段につられて即決した。いすゞのトラック、「エルフ」のような青色だったので、仲間内からは「エルフのカリブ」と呼ばれて愛された。車の整備の重要性に気付いていなかったので、車検はスタンドの安いやつを選んで、エンジンオイルも一番安いやつしか入れなかった。それでヘソを曲げたのか、運転席側の窓が落ちたりしたし、タイミングベルトが切れたのもこの車だった。さらに今のところ人生唯一の、人身事故もやってしまった。だんだんとエンジンの調子が悪くなっていって、まだ対面通行だった信越道のトンネルでエンジンが吹けなくなり、渋滞の先頭になって「ボボボボボ」と走ったのが決め手になって、二代目カリブに道を譲ることになった。

二代目カリブも、当時やっていた現場の近くの中古屋で見つけた。29万8千円の値札が付いていたと思う。このカリブから、トヨタのサービス工場で整備をお願いした。と言っても、2年ごとの車検と、12か月点検に持って行くだけだったが、特にトラブルもなく乗り続けられた。5万㎞で購入して、確か15万㎞ほど走ったあたりで、エンジンオイルの減りが激しくなってきた。漏れているのではなく、燃えているのだ。冬の朝、家の駐車場でエンジンをかけて、路地いっぱいに白煙が広がるのを見て、もうダメなのかなと思い、三代目を探すことになった。

中古車の神様がいるのだろうか。463バイパスのトヨタ中古車屋に、19万の値札の付いたスプリンターカリブを見つけたのは、探し始めてすぐの事だった。この車(現在の愛車だが)、この値段で16,500㎞しか走っていなかった。何かの間違いでは?とも思ったものだが、特にトラブルなく走り続け、あれから13年間、28万㎞までオドメーターは伸びている。

こうしてみると、エンジンの摩耗という避けられない経年劣化以外でのトラブルがない、トヨタ車は優秀という事になる。ただ、今のトヨタに乗りたい車がない。だいたい今のトヨタの車は高くてデカい。財布にも家の車庫にも収まらない。

 

盆明けのスバルに、開店時間に合わせて行って、事情を話して修理をお願いした、パイプの劣化で、12,000円で直るという。まあこれくらいなら仕方ないか。