タルキートナでバドワイザーを

群発頭痛により断酒した山好きオジさんが、定年後にアラスカのデナリを登って、祝杯としてアルコールを解禁することを目指す日記。

40年ぶりの読売新道

シルバーウィークは北アルプスへ。奥さんが行きたがっていた栂海新道は相変わらず通行止め。黒部方面も下の廊下はまだ通れない(通れたらしい)。コロナの影響で池の平小屋が使えないので、劔から阿曽原温泉に行くプランも没になった。


黒部には行きたかった。奥さんが読売新道に興味を示していたので、ヤマレコからいくつか記録を引っ張り出してプレゼンした。ヤマレコユーザー達は健脚なので、七倉から船窪を越えて、関電トンネルを使わないで黒部入りしている。これは我々には無理そうなので、順当にダムから入山するパターンで決めた。


扇沢までの交通手段は毎日あるぺん号が予約できた。このバスは、結構足元を見た価格設定だと思うが、まあ商売上手なのだろう。会社でたっぷり残業して新宿で奥さんと合流、23時発のバスに乗り込んだ。

 

しかしこの日、横浜での仕事中に腰をやってしまっていた。前日から、作業量が多すぎると作業班から泣きが入っていたので、午後には合流するからと伝えてあった。行ってみると作業は順調に進んだようで、何とか終わりそうだ。しかし、せっかく来たのだからと、清掃や荷物運びを手伝うことにした。足場の悪い斜面で、荷物を引っ張った時に、腰に痛みが走った。激痛、ではないが、結構な痛みが腰全体に走った。

このところ慢性的な軽い腰痛が続いていて、ヤバそうな感じはしていたので、迂闊だった。あまりにも不用意な動作だった。新宿駅のコインロッカーにあるリュックサックに、たしか腰痛バンドを入れたはずだ。奥さんが楽しみにしていた山行なので、中止はあり得ない。ただ、長い下りが続く槍沢を、この腰で駆け下るイメージは全く浮かばなかった。

 

まず初めの難所は夜行バスだった。それでなくても坐骨神経痛らしき痛みで、長時間の着席は苦痛なのに、更にストレートな腰痛も加わって、ものの1時間程度で痛み始めた。乗車時間は5時間程度。当然ほとんど眠れずに扇沢に着いた。

 

4時半ごろ当到着して、始発のトロリーバス(電気バスに改名していた)は7時半だった。3時間待ちなので、雨のかからないところに待機していたが、気になって切符売り場を見に行くと、もう切符待ちの列が出来始めていた。慌てて移動し、何とか短い庇に入れるギリギリの順番に滑り込むことができた。

そのうち、駐車場に車を置いたと思われる人たちが続々とやってきて列が伸びて行った。あとで伝え聞くところによると、列の最後尾は第3便のバスまで待ったそうである。

 

扇沢は雨だったので、駅の中で合羽を着て、雨支度でダムに出るとほとんど止んでいた。ダム湖の水量は少ないが、勢いよく観光放水しており、ああ、黒部ダムに来たんだな、と思った。黒部に来れただけでかなり嬉しい。腰痛が心配だが、まずは水平(でもないが)な湖畔道なのでなんとかなるだろう。

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この湖畔道を最初に歩いたのは約40年前の大学2年の時だ。同期の山岳部員と二人。夏合宿で黒部から穂高へ向かう序盤の事。背中には50㎏のキスリングが乗っかっていた。その日に奥黒部ヒュッテまで行けたかどうか覚えていない。えらく厳しい道のりだった。平の渡し船は当時怖いオヤジが操縦していて、山岳部の先輩たちから、失礼の無いようにしないと怒られるぞと脅かされていたので、重荷を背負って船に乗り込むのとき非常に緊張したものである。

 

今回は12時の船に何とか間に合った。水量が減っていたこともあり、船着き場の感じが少し違っていた。船はディーゼルの渡船ではなく、船外機付きのボートだった。この方が速いからと、係の人?が言っていた。全員が乗り切れなかったので、二往復してくれた。以前はオヤジ一人だったが、今は3人もいるのか。針の木側は流されたらしく、情けないハシゴの船着き場になっていた。上陸すると、この先は時間を気にすることもないので、ゆっくり歩いた。大学3年の時は、雨の中午後の船で渡って、東沢出合まで行きつけず途中でテントを張ったのを思い出した。


大学二年の時、東沢を詰めて三俣蓮華の稜線に出るつもりだった。水の無い読売新道は選択肢になかった。相方が出合の河原から、一段上の台地に上がろうとしたが、荷物が重すぎて這いあがれず、砂砂利の斜面を滑り落ちてきた。完全に出鼻を挫かれ、東沢プランは頓挫してしまった。年によっては読売新道にも雪渓があり、水が採れると聞いてる。奥黒部ヒュッテに相方が情報を得に行ったところ、当時の小屋のオヤジに
「水があるかは分かんねえな。まあ、ここは北アルプスのヘソみたいな所だ。今夜星でも見ながらどうするか考えなせい」
と言われて帰ってきた。一晩は考えなかったが、寝る前には赤牛岳を目指すことで決定していた。

水は徹底的に節約しよう、と宣言した。休憩時にも水は飲まなかった。相方は不満だったらしい。歩みが遅かった。彼の50㎏のキスリングの後ろには巨大な鍋が括りつけてあり、よく立ち止まるので、後続のワタシは、頭を鍋に強く打ち付けた。
「ちんたら歩いてんじゃねえよ!」
「俺は喉が渇いたよ!」
「うるせえ!」
この調子で、カタツムリのように進んでいたところ、赤牛から降りてくるパーティーがいた。赤牛直下に雪渓があり、水が汲めるという。
それを聞いて安心したが、ペースが上がるわけでもなく、結局その雪渓があるところまでたどり着けずにテントを張った。今から思えば、縦走開始3日目くらいで大ケンカしていたのに、この後穂高まで25日間も二人で歩き、岩を攀り、カレーとシチューとマルタイラーメンを食べ続けたというのは信じられない話である。


時は流れ、装備は軽くなった。今回は3泊4日。2人パーティーでテントと食料はワタシが背負っているが、10㎏まではないだろう。2日かかった赤牛岳の山頂まで5時間で着いた。天気は快晴ではなかったが、槍ヶ岳がくっきりと見えた。素晴らしい稜線漫歩となった。

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14:20に水晶岳に到着。ワリモの分岐に15:30に着いて、黒部源流経由なら17時前には三俣山荘まで行けそうだったが、ここは鷲羽岳を踏んでから行く事にする。昨日同じバスで扇沢に来ていた青年と前後して歩いていたが、彼も鷲羽を踏むという。やっぱりピークだよね。でも彼は、「黒部源流から見る黒部五郎もいいんですよね」と通なことを言っていた。学生さん?ってほど若く見える彼だが、なかなか深く山と親しんでいるらしい。

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17時40分に三俣山荘。テント場は満杯。北アルプスのキャンプ指定地で、予約が要らないところに集中したのかも知れない。いや、連休やお盆はいつもこうなのかも知れない。先ほどの彼は、登山道の横のガレ場を均してテントを建てていた。大半のテントは指定区域外に建てられていたが、テント禁止という看板が転がっている平地が、ひと張分残っていた。その横に張っている人が、「なんかそこはダメらしいですよ」と言っていたが、話が整合性に欠けるので、看板をどけてそこに張った。アナタが置いたんでしょ?

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3日目は槍を目指す。前日に比べると楽なので、余裕をこいて6時に出発。なんと快晴。眺めがいいので歩みがのろくなる。巻き道は眼中になく、三俣蓮華岳をまず踏む。右に笠ヶ岳、左に槍ヶ岳を見ながら双六岳に向かう。

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8時20分にようやく双六岳。双六小屋に着いたのは9時20分。この時間から槍に向かう人はいないようだ。槍頂上付近に小屋は3つあるが、どれもが完全予約制で、収容人数も絞っているので、宿を確保している人しか登らないとそうなるのだろう。ゆっくり登っている我々を抜いていったのは2人だけだった。そのうちのお一人は大槍ヒュッテに予約していると仰っていた。

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西鎌尾根を登るのはいつ振りだろう。四半世紀前に、黒部上の廊下を遡行して、穂高に向かった時以来だ。なのでどんな尾根だったか記憶になかった。樅沢岳からほぼ平坦と言ってもいいような、軽いアップダウンが千丈乗越まで続き、そこから一気に槍の肩に上がるという尾根だったのだ。そうだったのか。千丈乗越から、富士登山競走を彷彿とさせるガレ場の急斜面となり、今年行けなかった、あの白木の鳥居と青いマットを目指してガシガシ登った。ここだけコースタイムの半分くらいで来ている。

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槍の穂への登りはさほど混んでいなかったので、やはり寄っていくことにして、山頂に向かう人々の列に加わった。皆さん、後方を気にして、すぐに譲ってくれるので、ストレスなく山頂に行けた。山頂はそれなりに混んでいて、外れて転がっている看板を手に持っての記念撮影には列が出来ていた。看板を持って、次の人がシャッターを切るというローテが出来上がっていたが、コロナ的にどうなのだろう。槍ヶ岳クラスター発生!なんてことになっても、まあ特定できないか。

憲法九条を守る会」の皆さんの撮影が長引いているので、記念撮影は諦めて殺生ヒュッテに向かう。肩から見下ろして、テント場は三俣山荘ほどは混んでいない様子。歩きながら何カ所か目星をつけておいたので、小屋から遠いものの、素晴らしいロケーションのサイトを確保できた。夕方は雲が出てきてしまったが、夜になると満点の星空となった。

 

最終日は絶景の雲海の朝を迎えた。遠くに富士山も見える。だんだん明るくなる景色をしばらく眺めて過ごした。槍も赤く染まり、その後青空にヒコーキ雲がのびて山行のフィナーレを飾ってくれた。

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槍沢を下るのは大学1年以来。こう考えると、ワタシはあんまり北アルプスには来ていないんだなあ。二股、横尾、徳沢と順当に下る。

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帰りのバスは、殺生ヒュッテからスマホで予約し、早く着きそうなので、徳沢で便変更した。便利な世の中だ。上高地の二階の食堂でトンカツ定食を頂いて、ちょうどバスの時間になった。

 

心配していた腰痛も何とか凌げた。楽しい4日間を過ごせた北アルプスに感謝!