タルキートナでバドワイザーを

群発頭痛により断酒した山好きオジさんが、定年後にアラスカのデナリを登って、祝杯としてアルコールを解禁することを目指す日記。

彩の国だめ

三度目の正直はなかった。

彩の国マイル挑戦は今回が3度目だ。前にも書いたが、過去2回より今回の方が調子が良いと勝手に思っていた。直前までワラーチを履いてスピ練をして、ババ坂10回などもこなした。何よりも、今までと違いコースの8割方を試走している。2週間前のSouth試走は、距離が40㎞と(自分としては)充実した内容だった。

 

しかし、過去最低の結果となってしまった。

 

去年の大会では、用意したタイムチャートに計算間違いがあり、貯金があると思って調子に乗り、コースも把握していないのにスパートをかけて潰れた。その反省から、事前に試走をし、タイムチャートもちゃんと作って大会に臨んだ。

大会当日は雨だった。前日から降り始めた雨は、予報では朝には止む筈だったが、スタート時間になっても普通に降っていた。体育館から出て、空を見上げてもたもたしていると、トレニックの太田さんが「あきらめて行く行く!」と言いながらメガホンをもってスタートゲートに向かって行った。周囲にいた数人と、苦笑いしながら後を追う。

雨の中、ぞろぞろと選手たちがスタートゲートに集まり、太田さんのアジ演説があり、ゆるゆるとスタートした。みんな速そうな人達だが、例年通りなら、ここにいる4、5人に一人しかゴールできない過酷なレースだ。そんなことは微塵も感じられない、のんびりしたスタートだった。

ゆるゆるとスタート

走り出しから体が重かった。ロードでは周囲のペースに全くついていけない。どんどん抜かされながら山の中に入ると、そこからはあまり遅れずに進む事が出来た。彩の国は選手数が少ないので渋滞は起きないのがいい。FTRの時は、スタートからしばらくストップ・ゴーが続いて、辟易したのを覚えている。

今回のタイムチャートは、サンピアまで9時間で行くことにして、単純に距離を平均速度で割ったもの。第1エイドの苅場坂峠までは基本登りだから、ここのクリアが一番大変なはず。予定9:40のところ、9:38に着いた。貯金ゼロだが、まあいいだろう。

次は堂平山。試走では旧コースの丸山回りで行っていた。少し得した気分で、パラグラーダー場の先のT字路を右に行く。雨は降り続いている。堂平山は11:00のところ10:58。貯金は増えない。

次の慈光寺まではほぼ下りと見えて、登りが700mもある。笠山から走りやすい道をかなり下って、金嶽に上がるところが登りなのだろう。笠山からはほぼ高速道路なので、ここを安全に確実に駆け降りるのが、この区間のポイントだと思っていた。しばらく、5人ほどのパックの真ん中で走っていたが、挟まれているとマイペースにならないので、パックから抜けて後ろに着いた。徐々に離れて行ったが、気にしないことにしていた。

この下りで、膝に異変が起きた。最初は左膝に疼くような違和感。「あれ?腸脛かな」といった感じだった。それでも走れるし、痛みはない。だましだまし行くしかない、といった感じだった。何とかサンピアまで戻って、ニューハレのアクタ君にXテープを張って貰おう、などと考えていた。

そのうち、左膝に力が入らないという現象が起き始めた。坐骨神経痛で、脱力してしまうことがある。以前、坐骨神経痛がどういうものか知らなかった頃、同じ左足が脱力することがあった。日々のランニングで、走り初めに「カクッ」となる。体が温まると解消される、といった感じだった。ザコなのか?

そんなだから、急な下りの箇所は難儀した。それでも走っている状態を維持しつつ慈光寺エイドに着いた。そんなだから貯金は作れず、5分の借金となった。

次のくぬぎ村エイドまでは距離も標高差も大したことはない。途中長めのロードがある。このロードが走れない。これは典型的な腸脛靭帯炎の症状だ。それでも、ここは走らないと、この区間でまた借金が増えてしまう。

選手の少ない彩の国のこと、この辺りに来るとほぼ一人旅となった。時おり、1時間遅れでスタートした駅伝の選手と、2時間遅れの100kのトップ選手が抜いていく程度だ。ロードと下りがゆっくりだから、他のマイルの選手に追い付かれてもいい筈だが、まったく姿は見ない。当然、こちらが追い付く選手もいないけど。

くぬぎ村で、借金は15分に増えた。膝の不調は右膝にも広がっていた。これは、駄目だな。

次はサンピアだ。まずは荒れた林道状を登って、下って川を渡って、そこからは緩やかな上り下り。膝の不調は、時々思わず声が出てしまうほどになった。痛くはないが、不気味な違和感が強烈だった。膝から腰、股関節あたりもおかしい気がしてきた。

去年景気よく走った、大築山周辺のトレイルも歩くしかなかった。100kの選手に道を譲りながら進む。マイルのゼッケンの男が、この時間帯に歩いているのだから、この男がどういう状況か皆さん分かっておられ、小声で「頑張ってください」と言って去っていく。状況としては「お疲れさんでした」だろうが、そういわれると泣いちゃうぜ。

竹林でヘアピンを切り、ひーこら言いながら下ってロードに出た。地図を見て、ロードを直進すれば、雨乞山に行かずにサンピアに戻れることを確認した。どうする?

いや、いさぎよく(いや潔くない)、ここは雨乞山に登ろう。

すでにロードを歩くのもおかしくなってきたが、右へ山道に入った。もう違和感はあるが登り道はほぼ普通に歩ける。雨乞山にはあっさり着いた。ここで、スマホ機内モードを解除し、奥さんに本日帰宅する事を連絡した。腕時計の電池が切れていて、今回はスマホが時計代わりとなっていた。ヤマレコマップを起動した状態で機内モードにすると、ほぼ1日の行動時間中に電池が怪しくなるのだが、何もしないと90%以上の電池量があった。

越生梅林のあたりで、17:30の防災無線からの放送を聞いた。サンピア到着は17:40。ほぼほぼ、ビリだったようだ。わずかにいた後方の選手は、くぬぎ村からの区間で全部抜いていったようだった。足を引きずってカリブちゃんまで戻る際に、マイルの選手2人とすれ違った。T字路ですれ違った女性は、この後Southに向かったようだ。リスタート出来るだけでもうらやましい。

 

ここまで徹底的に打ちのめされると、悔しいというより、どうしよう、という感想である。もう、長いトレランレースは無理かもしれない。彩の国を完走して、すっきりとトレランレースから卒業できればよかったのだが、まったくそうはならなかった。

坐骨神経痛か腸脛靭帯炎か、という結論は、腸脛靭帯炎だと思っている。その昔、ハセツネを走った後はこうなっていた気がする。要は、走り込みが足りないのだ。そうなのか?

今年に入ってからの月間走行距離を調べてみた。

1月 164.4㎞

2月 101.1㎞

3月 86㎞+North試走13㎞、大山7㎞、南高尾17㎞、至仏山28㎞

4月 74.2㎞+North試走30㎞、高尾山8㎞、栂海新道53㎞、槍ヶ岳28㎞

5月 36.2㎞+South試走40㎞

足りないのか、これで。