タルキートナでバドワイザーを

群発頭痛により断酒した山好きオジさんが、定年後にアラスカのデナリを登って、祝杯としてアルコールを解禁することを目指す日記。

献血

大雪の情報が出ている。よりによって週末に。

本庄の現場は、埼玉県でも北の方なので、東京都心よりは雪の量が多く、10年ほど前に大雪で施設が数日間閉鎖される事態となった。当時いた、我が社の現地駐在員の機転で、近くの枝葉処分場にあるタイヤシャベルを呼んで、何とか除雪することが出来た。近隣の重機はすべてで払っていて、空いていいたのはここの機械だけだったのだ。

それ以来、この処分場に冬になると挨拶に行き、今年もよろしくとお願いしていたが、タイヤシャベルの維持管理は大変なようで、何年か前に、もう車検を通すのはやめたから、除雪には出られないと言われてしまった。

それ以来、近くの建機レンタル屋でタイヤシャベルを借りて、ひと冬待機させることになり、施設で行事があるこの土日が、今シーズンの待機初日だった。この日を指定してきた、施設側の部長のセンスは大したものだ。

土曜日は夕方から雨の予報。朝9時に搬入されたシャベルにチェーンを巻くと、あとはあまりやることはない。適当にメールなど返信したりして用事を済ませ、近くにある公園に走りに出た。

○○の丘と名付けられた公園なので、坂練になる。7.2㎞、5分半/㎞、累積高度110m。

坂練10本。けっこう追い込んだつもり。終わった頃に雨が降り出した。ナイスタイミング。

 

気分よく帰路につき、飯能日高インター近くのビバホームに買い物に寄ると、何やら街頭演説のような声が聞こえる。「・・・何卒、ご協力をお願いします・・」選挙でもあるのかなと思ったら、「本日の天候のせいでしょうか、まだまだ、本日の目標には届いておりません。まだまだ、皆様のご協力が必要です。ぜひとも、献血にご協力ください」演説しているお兄さんと目が合ってしまった。行くしかあるまい。

献血は久しぶりだ。最後にしたのを覚えている。武蔵小杉の駅前だった。直前に、母が心臓の手術で、リットル単位で輸血を受けた。これはお返ししなくてはいけないと、駅を降りたところにいた献血バスに入った。カードに印字された記録には、6年前、神奈川県と出ていた。

6年間の間に、コロナがあり、問診の質問事項が増えた。印字を見ると、6年前のその前は、十数年空いていたようだった。夏に富士登山競走、秋にハセツネを走るので、その前3か月は避けたい。そんなかんなで献血から遠ざかっていたのかもしれない。武蔵小杉の時も、7月末までに回復するか確認した記憶がある。

腕に番号を振った紙のブレスレットが巻かれた。番号は48番。本日48人目だそうだ。確かに少ないような気がする。

血の濃度を調べる採血は、今は指先からやるようだ。右手の中指に穴を開けて血を取り、十分な濃度があるから400㏄ですねとなり、左腕から血を抜いた。

 

災害があり、ボランティアに行くために、ボランティア保険にも入った。能登半島に行くには、雪道走行が必要になるかもしれないと、ポルシェ用のスタッドレスタイヤを買った。ところが、このポルシェにはジャッキが積まれておらず、タイヤ交換が出来ない事が分かった。そのジャッキを買うために、このホームセンターに立ち寄ったのだ。

まだ、被災地では県外からのボランティアは受け入れていない。何かしなくちゃと思いつつ、何も出来ないでいたところに、献血のご協力をお願いされたら、そりゃ応えるでしょ。

 

献血バスを降りて、飲み物をもらった。もう片づけが始まっていて、48人目の私がラストだったようだ。

 

さて、雪はどうなるか。一応板とブーツは車に積んだ。沼田インターに行く前に、本庄インターで降りる予定。そのまま除雪作業になるかもしれない。