タルキートナでバドワイザーを

群発頭痛により断酒した山好きオジさんが、定年後にアラスカのデナリを登って、祝杯としてアルコールを解禁することを目指す日記。

信越もダメ

もちろん無理筋の信越マイル初挑戦は、あえなく妙高エイドタイムアウトとあいなった。

バンフで予定タイムに20分貯金が出来て、これはいけるかもと思ったところ、右の腸脛靱帯が痛みだし、騙しだまし走るが、次の赤池エイドですでに貯金を使い果たした。

赤池から次のアパに向かうが、最初の登りこそぶち抜きモードでいけたものの、その先の林道下りが全く走れなかった。気合いの速歩きで進むも、大集団に抜かれた後は、後ろが真っ暗で、完全ビリになったかと思った。

そのあとぽつりぽつりと追ってきたが、赤池のテントにいた人達は諦めたのかもしれない。下りの林道は抜かれるばかりなので、早く登り口に着かないかと、ヤキモキしながら速歩きを続け、ようやく3時過ぎくらいに右折山入れのサイン。見ると見事な階段だ。ここぞとばかりにワシワシ登ってぶち抜きモードに入った。アパエイドは53km地点。おそらく50kmの看板辺りから下りだろう。そこに4時に着ければ、ほぼ予定タイムの4時30分にアパエイドに入れると考えていた。はたして4時ちょっと過ぎに50kmの看板を見た。しかしそこからが長く、下降開始ポイントに出たのは4時12分くらいだった。「あと2.2kmです」と誘導のお兄ちゃんが言う。間に合うか?

歩きでは間に合いそうにない。仕方ないので走った。2年前のハセツネで、カニ歩きすると腸脛靱帯の痛みが和らいだ記憶がある。それほど痛みは和らがないが、カニ走りで駆け下った。

関門閉鎖15分前にアパエイドに駆け込んだ。ここの予定タイムは4時20分だから、借金は25分のみ。ここで止める気はなかった。

予定通りドロップに入れておいたトムヤンクンのカップヌードルを食べ、フラスクを入れ替えたりと出発の準備。ただ、この脚では次の関門は厳しかろう。その為、ドロップの着替えはここでは使わず、そのままリュックに入れて持って出た。

5時過ぎに出発して、歩きながら予定タイム表を見ると、次の妙高エイドまては16kmで2時間半しかない。これは、無理だ。

赤池〜アパ間は気合いの速歩きでなんとかしたので、この先も行けるかと思ったがダメだった。アパ〜妙高間は、ほとんどが走れる林道で、山屋でなくランナーにとってはボーナス区間のようなセクションだった。林道とはいえ、景色も多様で飽きずに走れそう。走れたら、さぞ気持ちいいだろう。

しかしながら今日のワタシは全く走れず、アドレナリンも切れて痛みも増してきて、速歩きも出来なくなった。歩きではさすがに飽きるので、iPhone で音楽をかけながら歩いた。関門時刻の1時間オーバーで妙高エイドに到着。ほぼ片付けられたエイドステーションという場所は、寂しいところだった。

 

もうこのレースに挑戦することは無いかもしれない。初めて選手として参加したが、いいコースだった。よくこんな道見つけたものだと思う。f:id:sandyou:20240915130513j:image
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面白かったのは、走り始めのセクションで、最初のウォーターエイドへの登り口に、ピロキが立っていて、「ここからエイドまで登ります」って言ってて、そんな急な登りじゃないんだけど、みんな一斉に歩き出した事。もちろん、前の方の人たちは走って登ったのだろうが、この時間帯の人たちは歩くようだ。

歩いて、間に合うのかなと思いつつ、つられて歩いたが、結果はバンフで20分の貯金だったので、無理せず歩くが正解のようだ、気合いの速歩きで凌いだアパ前の区間もそうだし、ゆっくりでも走り続けられれば、完走が見えてくるのかもしれない。そんなコースを作った俺のピロキはさすがだと思う。

 

ダメだったけど、楽しかったな。

また出たいな。

それにはこの腸脛靱帯をなんとかしないといけない。走り込みはもちろんだが、他に有効な予防法はないのだろうか?