タルキートナでバドワイザーを

群発頭痛により断酒した山好きオジさんが、定年後にアラスカのデナリを登って、祝杯としてアルコールを解禁することを目指す日記。

富士登山競走2022

 

大会公式サイトから拝借。写真ないもので

富士登山競走、何とか完走できた。こんなに嬉しいことはない。


3年位前から、坐骨神経痛と思われるケツとハムストリングの張りや痛みを感じるようになり、まともに走れなくなった。2019年のハセツネは、とにかく完走だけはしようと、直前に東十条の鍼に行き、少しでも完走できる目を増やそうと試みたが、台風の影響で大会が中止になり、俺はハセツネに愛されてるなと思ったりしたものだった。その年はFTRも中止、翌年からコロナ禍となり、あらゆる大会が中止になったが、自分も走れない状態が続いていた。

富士登山競走も、2020年、2021年と2年続けて中止になった。どちらも申し込みはしたが、開催されても完走は無理だなと思っていた。

2022年の開催は早い時期から予告されていて、前回申し込んだ人は、全員エントリーできるという事だった。コロナの波が、次から次へと訪れる中、本当に開催されるのか不安だったが、コロナ第6波が収束し、ほぼ間違いなく開催されるだろうと思われた6月から、現地での練習を開始した。

現地での練習は、初回が一番速く、回を重ねてもタイムは良くならなかった。それでも、市役所~5合目を3回、市役所~馬返しを1回、中の茶屋~5合目を1回、馬返し~山頂を2回とかなりの量の練習を積んだ。富士山練習期間に入ってから、読売ランド坂練なんかもやった。結局ロードでのスピードの無さは克服できず、市役所~中の茶屋間がどうしても詰められないまま、本番を迎えた。

 

前日、一年で一番大事な日の前なのにこんな事していいの?というほどきつい現場だった。まあ、単に暑いだけなのだが、両手の手指が痙攣するほど仕事で追い込んでしまった。夕方帰宅し、準備して現地に向かうが、中央高速は土砂降りの雨で、緊張する運転を強いられた。宿は河口湖畔のいい宿で、ゆっくりできればいい場所だったが、翌日は朝5時に出なければならない。ゼッケンをシャツに着け、靴にタグをつけて、持ち物を最終確認して就寝した。

本番当日は快晴。ようやくこの日を迎えられた。スタートに並んだら泣いちゃうだろうな、と思ったが、国道から富士山を見ただけで泣けてきた。あとは、頑張るだけだ。

ちなみに朝食は、コンビニおにぎり3個、QPゴールドのジェルと、ミニッツのバナナジェル。これらを、6時前には食べ終え、奥さんが行っている整体の先生お勧めのユンケルを1本、スタート30分前に飲んだ。実業団の陸上選手だった先生によると、ユンケルは2000円以上の物からドーピング違反になるらしい。高いものほど効果があるとのことだったが、定価5千円のユンケルを半額で買って持ってきた。

 

トイレで奥さんと健闘を誓って別れたが、スタート地点で合流した。レジェンド芹沢選手の、やや説教じみた選手宣誓が終わり、おそらくコロナ禍の影響で出場できない宮島洋平選手の代わりに、司会のお姉さんがエイエイオーをやってくれて号砲となった。

奥さんと握手をして別れ、走りに集中した。今年はコロナの影響で、スタートブロックはAからEまであり、Bブロックはかなり前だ。当然周囲のペースは速く、それなりに頑張ってはいるが、周囲よりは遅い感じだった。金鳥居は7分ちょうど。練習より遅くないなと安心した。

しかし体は重かった。ペースが速すぎるのか、調子が悪いのかは分からなかった。練習の時より足は重いし息は切れた。周りより遅れないように頑張るしかなかった。重いな、大丈夫かな。辛いな、ダメかもしんないな。などと思いつつ国道に出た。左折し、伊藤精肉店を過ぎて浅間神社に右折。伊藤精肉店のオヤジさんが沿道にでて応援してくれていたらしいが、見る余裕はなかった。

浅間神社トイレは16分。おお、練習より速いぞ。しかし、毎回この先で失速している。ここは踏ん張りどころだが、出し切ってしまっても山頂までは行けない。

公園入り口は21分台。まだ失速していない。

富士五湖道路信号は27分くらい。まだ持ちこたえている。

T字路が34分くらい。てことは中の茶屋40分か?と思ったら41分だった。ベストより3分遅いがまだ希望はある。作戦では馬返しまで給水は寄らないつもりだったが、テーブルの端に取れそうなペットボトルがあったので取る。その場で飲み、余ったのを被って先に進んだ。

ここからは、足を温存するため、急坂は無理をしないと決めていた。特に、馬返し直前の坂は歩く気でいた。それでも、緩傾斜地帯はしっかり走った。周囲と遜色のないスピードで走れた。毎回この辺まで来ると、歩いてしまっている人を見かける。ここで歩くようでは完走はおぼつかない。現在の参加者はみんな5合目まで2時間20分以内で行ったことがあるはずだから、そんなことは百も承知だろう。それでも歩いてしまうほどキツいコースだという事だし、コンディショニングの難しさという事だろう。
大石茶屋を過ぎた。58分だった。そこからは傾斜のキツイところはペースを落としつつ、周囲とほぼ御ねじペースで進めた。右に長い木の柵、左に黒いガードレールが現れた。右に短い木の柵が出てくれば、馬返しはすぐそこだ。。

馬返しは1時間8分。通常の完走ペースから3分のビハインド。まだいける。

作戦通り手前の急坂を歩きながら、炎熱サプリ、ジェル、ベスパを摂取。給水でペットボトルをもらってその場で飲む。鳥居までは歩く。みんな歩いている。山道入ったら走るぜ。みんなも走るよな。歩いてたら間に合わないぜ。

鳥居の先、山道からは集団も走り出した。でも遅い。エイドロスが2分あって、出発が10分だったから、5合目まで1時間5分かけると失格だ。わかってんのかエブリバディ?このペースじゃ間に合わないぜ。

右へ左へとステップしながら、前の選手を次々と抜く。おお、イケそうじゃん?まだ足は残っている。

2合目まではしばしば渋滞した。2合目まで19分かかり、練習より遅かった。マズいな。しかし、この先に渋滞ポイントはないのは知っていた。片っ端からぶち抜いてやる。

3合目は28分。挽回している。これなら5合目関門は突破できそうだ。夢みたいだ。少なくとも、8合目までは登らせてもらえる。
ここからは、山頂までのことを考えた。上部ではほとんど走れないから、走れるところは走っておく。しかし、無理はしない。2度目の舗装路に出て、5合目関門までの車道の登りは、ゆっくりとだが淡々と走った。ほぼ1時間で5合目まで来て、2時間20分を残して山頂へと向かった。

5合目ではジェルとベスパを摂った。選手の列に並んで登る。前の選手にスキがあれば躱して前に出る。明らかに、周囲よりは早く動けていた。9時10分に5合目を出たから、まずは7合目花小屋に9時50分までに着くことだ。

前の選手を抜くことに集中し、ひたすら進むと花小屋の岩場に出た。45分だった。5分先行した。

心肺には何にも不安を感じなかった。全身の疲労も大丈夫だ。問題は足攣りだけで、もうかなり危なくなっていた。足攣りの特効薬だという「NO CLANP」なるジェルを導入して、ポーチに入れておいたはずだが、気が動転していたのか見つけられなかった。しばらくは急な岩場が続くから、丁寧な足さばきを心がけつつ先を急いだ。

東洋館のウッドデッキには5合目から1時間で着いた。花小屋までの貯金はなくしたが、ここから練習の時とおなじ45分で富士山ホテルまで行けば関門が突破できる。まだ心肺も、疲労も大丈夫だった。あとは今にも攣りそうなこの足だけだった。

岩場が終わり、砂礫のつづら折りとなった頃、ポーチの中に「NO CLANP」を見つけた。急いで飲む。つづらは、まず右側から入る小屋があり、その次は左から入るが、ここは3250m地点で関門ではない。二つ目の左から入るところが富士山ホテル関門だ。それを覚えていたから、冷静に先を急げた。練習の時より動けている。行ける、いけるぞ。

富士山ホテル本館の石段に出た。「関門だ、かんもん・・」とつぶやきながら小屋の前を通過し短い階段。よしっ!10時52分ごろ関門を突破した。あとは行くっきゃない。

この最終区間、本番では35分が標準で、それより遅かったことはなかったと思う。行けるいける。信じられないが、3年前からずっと調子が悪く、直近の練習もあんなにボロボロだったのに、もう8合5尺を通過し、山頂へと向かっている。山頂着いたら泣いちゃうなと思ったが、9合目の鳥居をたたきながらもうベソをかいている。残り200mの岩場に出ると、周囲が殺気立ってきた。大丈夫だエブリバディ。間に合うぜ。と思ったが、周囲につられ殺気立って進む。

山頂鳥居を右手で叩く。最終コーナーを回りゴールに突入。


4時間23分。


健闘を称えあう喧噪を抜けて、先にあるベンチに座って感涙に浸る。やった。帰ってきた。帰ってきたよ。


我に返り、カウントダウンに参加しなくては、と思いゴール地点に戻ったが、既に11時30分になっていた。あれに参加できるのは、余裕でゴールした者だけなんだな。

 

5合目に下山し、スマホを出すと、奥さんは目標タイムでは5合目まで行けなかったらしかった。出し切ったので満足ですとコメントがあった。ねぎらってあげよう。

会社スマホには着信がどっさり。5合目は電波が悪く、どんどんバッテリーが無くなるので対応は後回しにしてバスに向かった。ちなみにスマホは宿で5合目荷物に入れてしまっていたので、道中の写真は一切ありません。