タルキートナでバドワイザーを

群発頭痛により断酒した山好きオジさんが、定年後にアラスカのデナリを登って、祝杯としてアルコールを解禁することを目指す日記。

春の栂海新道

白馬から、栂海新道を歩いて、日本海まで行ってきた。

春の栂海新道は、以前からやりたかった課題だ。去年も計画したが行かなかったし、2019年だと思うが、夜行で親不知入りし、白鳥山まで行ったが体調不良で引き返した。その前は奥さんと白馬から雪倉避難小屋まで行って敗退している。

今回は晴天に恵まれ、楽しく踏破出来た。欲を言えば、小屋泊まりでなくツエルト泊で行ければ、もっと充実したかもしれない。先日、槍ヶ岳に行った際、久しぶりのツエルト泊で楽しかったし、ツエルトでなかなか眠れない問題も、色々工夫して解決したい。今回はラジオも用意した。

仕事を引退したので、GWに無理して山に行く必要がなくなり、GW前の土日に、奥さんの大阪遠征に合わせて日程を決めた。GW前の週末なので、山は空いているだろうと予想された。まえに奥さんと来た時、あの狭い雪倉避難小屋に、3パーティ10人以上が泊まっていた。ああいうのは勘弁だ。静かに山を楽しみたい。

山で二泊するので、前日くらいは布団で寝たいと、前のりはせずに早朝発とした。3時に起きて3時20分には家を出た。長野インターを見落とすという失態はあったが、7時前には白馬八方の駐車場に入れた。首尾よく日本海まで行ければ、大糸線で戻ってきて回収する手筈だ。

まずは猿倉まで歩くが、冬期閉鎖地点の二俣の橋の手前に、温泉施設「おひなたの湯」があるが、ここの駐車場が満車だ。見ればほぼ他県ナンバーである。おそらく、猿倉に入山した登山者の車であろう。温泉も冬季休業中で、なるほど通はここに停めるのね。

それでも大雪渓に登山者は少なかった。徒歩の3人と、降りてきたスキーヤー2人、林道で1人とボーダーが自転車で降りてくるのとすれ違った。多くの人が、鑓温泉に向かったようだ。

大雪渓はデブリが少なかった。これから落ちてくるのかも知れない。なるべく雪渓の真ん中を、クマさんにシールを貼って登って行った。

雪渓が急になり、ジグを切って進んで行き、先行する徒歩の3人に追いついた。先頭のお姉さんに「登山靴で滑りはどうですか?」と辛い事を聞かれた。どうですかねぇ。

その辺りからシールが効かなくなり担いだ。アイゼンは履かずキックステップで稜線へ。稜線はほぼ雪はなかった。

一時的な冬型だという。稜線は恐ろしく風が強かった。今回、ツエルト眠れない問題の解決の為、防寒着は比較的豊富に持ってきているが、アウターは軽量化の為トレラン用のカッパである。パンツはさすがにバーサライトでは心細いので、普通のゴアテックスの雨具の下を履いてる。今回の為に、シームテープを貼り直したものだ。このペナペナのカッパで、冬山並みの強風に耐えられるだろうか。

向かい風の中、気合いを入れて歩いたら、白馬山頂は近かった。記念撮影をして先を急いだ。今回はここが最高高度だ。風よけには、高度を下げるのが一番だ。

大雪渓を見下ろす

正面が大窓

時々雪が出てくる稜線を、アイゼンなしで歩いて行くと、三方境手前に急雪壁があってアイゼンを付けた。実は今回、軽量化の為にアイゼンではなくチェーンスパイクにしようかという案があった。この雪壁はチェンスパでは歯が立たないだろう。危うく、ここで敗退することろだった。

チェンスパでは無理

アイゼンは軽量化しなかったが、ピッケルは軽量化の為持ってきていない。岳人の魂なのに。翌日だが、雪倉岳からの下りで、変わった地形のところがあり、ピッケルがあれば、雪壁直下降でショートカット出来たが、順当にアイゼン歩行で正規ルートを辿った。今回は久しぶりに長時間アイゼンを履いて歩いた。

もう一つ軽量化しなかったのは板だ。とりあえず大雪渓の登りでは活躍してくれた。しかしクマさん、アンタの実力はこんなもんじゃないだろう。

奥さんと以前来たGWの、三方境から鉢ヶ岳の斜面は、スキーで降りられそうな感じだったと記憶していた。がしかし、今年は雪がない。雪があったら滑ったのかというのは別の問題であるが。

三方境の標識、その先に雪はない

行く先に、鉢ヶ岳と雪倉岳が見える。そう遠くない気がする。風は相変わらず強い。稜線は朝日岳の手前で2000mまで標高が下がるので、出来ればそこまで行きたい。雪倉の避難小屋はなるべく使いたくない。

とはいえ、鉢ヶ岳トラバース地点に着いたのはもう四時半だった。足もすでにヨレてきていた。ピッケルがないので、トラバース中の転倒は許されない。アイゼンを引っ掛けないよう、細心の注意で進む。

すると行く先に少し夏毛が入り始めた雷鳥が現れた。思わず写真を撮る。疲労と緊急の中で、雷鳥の登場は嬉しかった。雷鳥さん、ありがとうね。頑張ってね。

気合いを入れ直して先に進む。ルートはまっすぐ水平でいいと思うが、ブッシュ横断箇所は夏道があるはずだが見つからない。ブッシュの下を通った方が楽そうなので、下り気味にトラバースして、避難小屋のあるコルに向けて登り返した。足首が痛くなってきた。

トラバースには小一時間かかり、コルに出た時は17時をまわっていた。今から、雪倉岳を越えて、赤男山の先まで行くのは無理だな。避難小屋が無人だったら泊まろう。果たして、小屋は無人だった。

この小屋は「緊急事のみ使用の事」と張り紙してある。それでも前回来た時は盛況だった。今回は1人だ。よろしくお願いします。

ラジオはNHK第二しか入らなかった。韓国語の講座と、管理栄養士さんの講話を聞いた。何もないよりずっと良かった。よく確認してこなかったのだが、ラジオの電池はパナソニックの充電乾電池だった。寝る頃にはもう電気はなかった。

スマホは予備バッテリーを持ってきていた。それで翌朝はtuneの音楽を聴いた。

結局、よく眠れなかった。かなり寒かった。冬の八ヶ岳のオーレン小屋に冬に泊まった時、このBibyとFinetruckの夏シュラフでよく眠れたと思っていた。なにか、違っていたのかもしれない。中に入れる、「リアクター」という恐ろしい名前のものがある。これを使ったのかもしれない。

先日の槍平のツエルトより明らかに寒かった。雪を溶かして水を作る作業で、はねた水滴がその場で凍っていた。

4時半に出るつもりだったが、3時前には起きてしまった。真っ暗な寒い小屋の中で、お気に入りの音楽が、そこそこの音質で聴けるとは、テクノロジーの進化は凄まじい。ゆっくりと準備して、やや明るくなり始めた中を歩き始めた。雪倉岳までの標高差は200m。30分とみて、5時の日の出を山頂で迎える計算だ。

昨日のオブザベーションで、雪倉岳までの稜線には雪がなかった。そこで、アイゼンは履かずに歩き出した。しかし、途中傾斜が変わるあたりから雪の斜面になった。この時間ではカリカリのアイスバーンで靴のつま先では歯が立たない。リュックを降ろして、アイゼンを履く。このロスタイムで、山頂=日の出は間に合わなかった。しかし、思わぬ拾い物をした。

雷鳥さんが、ご来光を眺めている

この先、たびたび雷鳥さんに会えた。頑張ってください。

雪倉岳からの下りは、北側にカール状の斜面が広がっていて、蓮華温泉に向かって滑り降りた記録もあった。地形図を見ると、カールの左端を滑れば、最低鞍部まで滑り降りられそうだ。夕方にここを通過する計画だったのは、この滑走をイメージしてのものだったが、早朝通過ではカリカリでアイゼン下降である。まあ、雪も少なかったし、テクニックから言っても無理だったと思う。ピッケルが欲しかった雪壁を迂回して、赤男山のトラバース地点まで来た。

最低鞍部から、さらに下り気味にトラバースするようだが、夏道は雪に隠れて見えない。だいたい、この辺だろうと歩きやすいところを進むと、ブッシュの中に夏道があった。夏道と雪面を交互に進むが、夏道が見えないところは探すのに難儀した。かなり時間をかけてトラバースを終了し、水平道の分岐まで来た。ここは昨日の宿泊予定地だったが、雪倉避難小屋から3時間近くかかっている。無理があったな。

朝日岳へは正面の雪面を直登した。まだまだ元気で一気に登った。

朝日岳から下降し、吹上のコルの先は、長栂山のトラバースに向けて広い雪原である。ガスったら方向を見失いそうなところだが、今回は快晴である。傾斜はかなり緩やか。まだ雪は固いがいけるんじゃね?と板を降ろして履いてみた。

 

ダメだった。立てもしない。おかしいな、こんなに下手だったかな。

すぐに板をリュックにつけ直し、気を取り直して歩き出す。もうアイゼンも不要だ。

右に妙高、左に裏劔を見ながら漫遊する。楽しい以外の形容詞はない。

楽しく歩き続け、黒岩平を見下ろす位置まで来た。だいぶ日も高くなった。気温も上がり、雪も緩んできた。

ここから滑れば、黒岩山あたりまで一気に行けるな。今度こそ行けるだろう。

さすがに今度は立てた。さっきよりは傾斜はあるが、雪が緩いのでエッジが立てられる。しかしコケた。いやいやまだまだ。ボーゲン、横滑り、いろいろ試しながら100mくらい滑った。ダメだな。かえって疲れる。

こんなところも滑れない

ここにテントを張って、腰を落ち着けて練習すれば変わるかもしれない。この靴と板の組み合わせで、大雪渓を滑ったことがある。普通に降りてきた筈だ。その後さかいやシューズ館のお姉さんに「どうでした?」と聞かれてまあまあだったと答えた。ショートスキーで滑るために、足首が固めな靴を選んで買ったのだ。

そういうわけにはいかないので、また板をリュックに着けて歩き出した。大雪渓で活躍したから、もう十分と思うようにしよう。

黒岩山に着いた。ここからが栂海新道だ。旺文社の地図には、「起伏の多い藪尾根」というような記載があるが、見るかぎり、雪庇がうねうねと続く雪尾根で、歩きやすそうだ。

うねうねと続く雪稜

思った通りの尾根で、雪の上をサクサク歩いた。右に妙高、左に裏劔の絶景は変わらない。夢のような尾根歩きだった。しかし、犬ヶ岳が近づくと雪が少なくなり、地図の記載通りの尾根になった。近年崩落し、さわがに山岳会により修復された箇所は雪がなく、歩きにくい新ルートを辿った。黒岩山から2時間くらいで犬ヶ岳に着いた。ここには栂海山荘があるが、まだ1時だ。遠く、白鳥山のピークに、真四角に見える白鳥小屋が見える。2019年に敗退した時に泊まった小屋だ。海が見えるいい小屋だった。あそこに泊まろう。

犬ヶ岳が1500mレベルで、白鳥山は1200mレベルと一段下がるが、雪の量は変わらない。歩けそうな雪庇を選んで進む。雪庇は東側に出ていて、進行方向左側の土の上を歩くことが多くなるが、白鳥山直下の急登は雪の斜面だ。夏道は雪の下に隠れているが、ここだけは雪の右側に出てきている。一旦夏道に乗り、再び雪。無心にキックステップを続けると、雪の向こうに小屋の屋根の一部が見えた。すこし、藪を漕ぎ直して小屋の前に転がり出た。

小屋はここも無人だった。二階に荷物を広げた。窓が多くて明るい。四方に窓があるので、雪山も海もよく見える。明日は5時間も歩けば海まで行ける。よくここまで来たものだ。

雪を溶かして水を作り、コーヒーだのスープだの飲んだ。夕飯のラーメンを食べてしまうとやることがない。ここでもItuneで音楽をかけた。こんな山小屋で、コルトレーンなど聴いているなんて、まさにシュールだ。

このブログの下書きも書いてみた。オフラインではてなブログのアプリを立ち上げ、デバイスに保存しておける。しかし、この保存は脆弱で、ちょっとした手違いですべて消えてしまった。白馬を越えたあたりまで書いたが無駄になった。まあいい。

標高が低いのでそれほど寒くない。水も凍らない。それでもあまり眠れなかった。昨晩もほとんど寝ていないと思うが、それでも12時間行動でここまで来た。もう、環境が変わると眠れない、俺は小せえ男なんだと思うようにしよう。

夜中も時々音楽を聴いたりしながら過ごした。3時ごろ起きだし、またスープを飲んだりしながらゴロゴロしていた。明るくなってから食事をして、6時前ごろ小屋を出た。

ド快晴ではないが晴れている。海と雪山が良く見える。なんて幸せなんだろう。緩やかな雪尾根を、ゆっくりと下った。最初の大下りをこなすと、不思議な地形となり、一旦谷状を通過して再び山に上がる。うまく道をつけたものだ。この辺りで、登ってきた方とすれ違った。

この山を越えると大下りとなり、坂田峠に降り立つ。標高600mくらいか。ここは携帯電話の電波が取れたので、奥さんに間もなく下山と連絡を入れておいた。

もう雪は出てこない。正面に大海原の気配はするが、パッと視界が開けるという事はない。ちらり、ちらりと海が見え、ゴールが近づくにつれ、名残惜しさから歩みが遅くなる。

送電塔のある辺りが、何故か伐開されており視界が開けた。ああ、もうすぐだ。突然、足元を大型トラックが通過していくのが見えた。国道にはいきなり飛び出した。


そうそう、駐車場とトイレがあったんだよな。そこから海岸に降りられるはずだ。

せっかくなので、荷物を担いだまま海岸まで降りた。

 

これで、今シーズンの雪山は終わりだ。

 

去年、結構な回数で雪山に行ったので、今年はそれ以上に行く気でいた。八ヶ岳や、黒部横断など、やり残した課題もあった。仕事は引退しているので、バリバリ行く気でいた。

それなのに、雪山に行き始めるのは遅かった。12月は計画も立てなかった。仕事で本庄に行って、遠い山並みが白くなっているのを見て、焦りを感じたが、年が明けて、退職有休消化月間の1月も、谷川岳に1回行っただけだった。

もしかしたら、俺は雪山に飽きたのか?そんな疑問も湧いてきた。

3月に入り、ようやく尾瀬で、気合の入った山行が出来た。冬山ではなくなった4月に、槍ヶ岳往復を成功させた。前回スキーで降りられなかった飛騨沢を、楽しく滑って降りてきた。そして、今回の栂海新道。すごく楽しい3日間だった。大丈夫。俺は雪山に飽きてなんかいない。

 

まだまだ行くぞ。

 

来年はデナリだ。