タルキートナでバドワイザーを

群発頭痛により断酒した山好きオジさんが、定年後にアラスカのデナリを登って、祝杯としてアルコールを解禁することを目指す日記。

富士山8合目敗退

雪山シーズンに決別して、夏の富士登山競走とその先の信越五岳マイルに向けて、トレランを始めなくてはならない。しかし、今年は雪山にあまり行けなかった。特に山スキーは2回だけだ。残念だなあ。

中古をポチったディナフィットのブーツはすでに古かったので、あと何年持つかわからない。新品の定価が10万円する靴を、2万円以下で手に入れたが、同じように手に入ればいいが、なかなか難しいだろう。できれば今年、もう一回くらい行きたい。

今年は雪が少なく、針ノ木はデブリで大変なようだし、白馬も下の方は雪がないようだ。もう終わっちゃうかなと思ったが、ふと「富士山だ」と思いついた。ヤマレコの記事を検索すると、吉田大沢を滑った記録がヒットした。快適だったという。これだ。

かなり前だが、富士山でのスキーというと、富士宮口からゲレ板とゲレブーツを担いで登り、9合目あたりから滑った事がある。登り始めが遅くなり、滑走開始が確か15時ごろ。すでにガリガリアイスバーンになっていて、2回目のターンであっさり転倒。右足の内側靱帯が「プチッ」と音を立てたのを覚えている。

当時読んでいた、膝関節に関する本に、まったく同じ内容の記載があった。というのは、スキーでコケて「ブチッ」って言ってもとりあえずは痛まない、君はそのままスキーを続けるが、だんだん腫れてきて、滑り降りたころにはパンパンになっているだろう、というもの。まさにその通りで、なんとなく痛みはあったが7合目あたりの雪が消えるポイントまで滑り、運転して帰宅し、翌日には歩けなかった。

一番近い大病院である防衛医大病院に行き、立派なブレイスを処方してもらって固定。それ以来、富士山でのスキーは奥さんにより禁止された。

なので今回も、奥さんにはナイショで行った。富士山に行く、富士登山競走の練習ではなく山頂を目指すとは伝えた。ブーツと板はこっそり積んで、朝3時に家を出た。

 

やや寝不足だったので、谷村PAで仮眠を取って、馬返しに向かった。中の茶屋には結構な台数の駐車車両があり、ランナーが準備をしている。それに反して、馬返しには車は3台のみだった。奥に停まっている白い軽ワゴンには準備をしている人がいるようだ。

こちらも出発準備を始めた。板とブーツを担ぐ際、板にブーツを付けた状態でリュックの両側に取り付ける。ブーツを板に付けるのは、滑るときなら踏み込むわけだが、履いてない状態で付けるのにいつも苦労する。そこで、出発直前に、板をカラスくんからトラちゃんに替えた。ビンディングを合わせていないので、その調整からだ。

ドライバーで調整をして、しまった、流れ止めを忘れた、と思っていたら、奥の軽ワゴンから女性が出てきて、トイレに向かいながら「おはようございます」と元気に挨拶してきた。

トラちゃんのビンディングは、解放されても流れない構造なので、流れ止めはなくても何とかなる。脱ぎ履きの時に注意すればいいという事にして、ブーツを付けた状態でリュックに付けた。ふたたびチンドン屋状態である。これを担いでみると結構重かった。

出発は6時15分頃となった。荷物は重いが足取りはそれほどでもないと感じつつ歩いていると、先ほどの女性が「まあ、スキーだったんですね」といいながら追い抜いて行った。かなり速く歩いていらっしゃるが、富士登山競走の試走という感じでもない。このペースで頂上まで行かれるのだろうか。それなら、彼女が降りてくる横を、スキーで追い抜いたりしたらカッコいいな、などと悠長なことをその時は考えていた。

富士登山競走のレースペースだと、馬返し~5合目は1時間。3合目見晴茶屋は中間点だ。その見晴茶屋で時計を見ると50分かかっていた。荷物があるとはいえ、かかりすぎである。

レースペースなら、馬返しから山頂は3時間半である。倍まではかかるまいと思っていたので、6時出発、山頂は12時くらいと考えていたが、どうもそうは行きそうもない。

また、脚も心肺もそれほどきつくないのだが、荷が食い込む肩や背中がキツかった。肩甲骨のあたりに負担が集中するようで、歩荷訓練が必要なのかと考えたりもした。5合目に着き、荷を降ろして肩を回してほぐした。馬返しから1時間50分かかっていた。

15㎏まではないと思うのだが

吉田大沢が見える。確かに魅力的なバーン

ここから7合目花小屋まで、レースでは35分で行った。1時間くらいかなと歩き始めたが、6合目までは良かったものの、6合目から先の砂礫の九十九折りあたりからヘロヘロ君が始まった。どういうわけか、マジでつらかった。肩(肩甲骨)は痛むし、息も切れた。23回ある九十九折りを数えていくのが通例となっているが、まったく数が合わないほどだった。また、この頃から雨も降り始めた。パラパラと雨が落ちる中、花小屋に着いて荷を降ろした。雨を理由に止めたくなったが、少し上にスキーやボードを担いで登っている4人組を見つけた。追い付いたわけなので、自分より遅いチームがいるなら頑張るかと、変な理由で先に進むことにした。

花小屋の裏手から雪道になっているようで、ここからスキーブーツに履き替えた。その準備をしていると、二人組男女のスキーヤーが追い付いてきた。実に軽装で、男性の方は、どこにブーツを持っているのかわからなかったし、女性は、小さいリュックの下に、ブーツをぶら下げている。花小屋で少し休むとすぐに上がっていった。靴は履き替えず、ハイキングシューズのままだった。こちらの履き替えの選択は間違いだったと後でわかった。

雪セクションは50mほどで、すぐに夏道になった。ディナフィットのブーツは、たぶんスキーブーツとしては歩きやすいのだろう。しばらくはそれなりに登っていたが、疲労の蓄積と共に、かなりしんどい登山となっていった。完全にヒラリーステップ状態である。

軽装ならあっという間の、東洋館までかなり苦労してたどり着いた。ひとまずそこで休憩。東洋館のウッドデッキは到着時は乾いていたが、だんだん雨脚が強まってきた。もう止めてもいいのだが、やはり悔しい。先行する4人組も少し先にいて、まだ登山継続のようだ。東洋館の標高は2900m。せめて3000mまでは行こうと先に進んでみる。

東洋館

5合目から山頂までのコースの、中間点は8合目太子館である。まだそこまで来ていない。8時に5合目を出て、この時点で11時を過ぎているので、3時間以上経過していた。この先ペースが上がるとは思えないので、さらに3時間以上はかかるのだろう。15時過ぎ山頂では、さすがにスキーどころの騒ぎではない。無理だな。

8合目に着いた。石垣に貼ってあった「太子館」の文字は無くなっていなような気がするが、ここが太子館らしい。4人組は時間を見ながら先に進むという。私より遅いんだから大変だろうな。頑張ってください。

靴を履き替えてゆっくり下った。悔しかった。普通に、軽装で山頂を目指せば登れた可能性は高い。スキーというおまけをつけたので、ヘロヘロ敗退となってしまった。二兎を追う者は一兎をも得ずってやつだ。

しかし、来年やるかはともかくとして、この苦行をやってのけないと、富士山山頂ドロップは出来ないという事だ。サクサク登って行った男女ペアもいたし。

サクサクペアは年齢的に私と大して違わないように見えた。しかし軽装で、おそらくスコップもゾンデも持っていなかったであろう。私はというと、山スキー三種の神器といわれる、スコップ、ゾンデ、ビーコンをしっかり持ち、個人的に雪山では必携としているツエルトも背負っていた。考えてみれば、この時期の富士山で雪崩はありえないから、スコップやゾンデは要らないし、ココヘリ会員なので、ビーコンも不要だった。もっと軽く登れたはずだ。

スキーとブーツの運搬方法も検討する必要がある。ブーツがサイドでぶらぶらするし、下りでは板が足に当たって歩きずらい。

これらを改善して、機会があれば再び富士山ドロップに挑戦したいものだ。

 

さて、結局スキー歩荷して、下る羽目になったわけだが、朝に追い抜いて行ったお姉さんが気になった。あのペースなら、そろそろ山頂を踏んで降りてくるころだ。「まあ、さすがにスキーは速いですね」などと言われないために、頑張って先に降りなくては。

昨年の秋以来、痛むようになってしまった右膝が、単調な下りとなる3合目以下では辛かった。何とか頑張って、お姉さんに抜かれる前に馬返しに着いたが、なんと白い軽ワゴンはなかった。あれ?